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Channel: お酢とお酒の蔵裏ばなし –九重雑賀 公式サイト
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【蔵の移転:回想3】「立たないものを立てる!」その2、専門分野の職人が集まって

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さて、「立たないもの」とは。新しい私たちの蔵は、元はJAの桃の選果場跡地。建物をリフォームしたので、すでにある建物の中に重量級の機材を運び込まなければなりません。

そして移転のクライマックスのように、重量級タンクがたくさんある酢蔵の引っ越しが行われました。

先に引っ越した酒蔵は、一番大きいタンクでも11キロリットル。クレーンでつり上げているのを見て大きいと思ったけれど、酢蔵は規模が違います。一番大きいタンクで27キロリットル、多いのが22キロリットルなど、すべてが倍以上、とにかく大きい!いくつもあるタンクと仕込み用30石の木桶も、同じ屋根の下に入れる計画です。

しかし、これが至難の業!「く」の字型屋根の平屋に、まず、タンクを横倒しに搬入。次に、屋根の一番高いところでタンクを立ててから、作業場を確保するために端によせ、最後に所定の位置に設置するのですが、屋根の一番高いところで、27キロリットルのタンクを立てるとぎりぎりの高さ。

それも、次々とタンクを入れるごとに、どんどん狭くなっていく作業場で、大型のクレーン2台、リフト2台、屋根からつるした鎖などを駆使して横倒しのタンクを少しずつ少しずつ立てるのです。

現場監督の樽谷さんも、一時も気をゆるせない作業を見守っています。のべ2ヶ月にわたる移転作業の終盤戦に、スタッフみな疲れがにじんだ顔に汗まみれ。眼光鋭く長時間の作業にも緊張が張り詰めています。ARMさんの作業の周囲では、蔵人や別分野の工事スタッフも、時折手を止めては固唾を飲んで見守っていました。

安全かつ無事に移転を進めるために、毎週毎週、定例会議では綿密な打ち合わせが行われました。ARMさん以外にも、さまざまな専門分野に精通した職人さんが頭をひねって新蔵をつくってくださいました。

(写真右から)設計を担当してくださった日和設計事務所の岩清水さん、リフォーム作業を統括してくださった和尊建設工業の和田社長、(写真奥右から)ARMの田中社長と樽谷現場監督、電気工事を一手に引き受けてくださった古川電設の堂浦部長(左端)が、ミーティングの常連です。

無事に、すみやかに移転を終えるという目標に、どんなに忙しい作業の最中でも、会議は欠かせませんでした。酒蔵と酢蔵のスタッフも総出です。人員が少ないので、酢屋も酒屋も手伝い合って作業を進行します。

 

 


【蔵の移転:回想4】岩出市の蔵、最終の日

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新しい蔵での始業を7月1日にひかえた、前日の6月30日の日曜日。岩出市の蔵、最終日です。

移転作業が始まってから2ヶ月、特にこの1ヶ月間は、従業員はみな休日返上。毎日の製造、出荷業務と並行しながら、移転作業に没頭しました。大型トラックやリフト、軽トラが縦横を行き来し、猛暑の中、顔を真っ赤にしてタオル巻きで走り回ってきました。

8年間、借りた蔵なので、飛ぶ鳥跡を濁さず、みなできるだけ磨いて洗って。

「ああ、まめがつぶれた!」。うちの蔵ただ一人の女性ベテランスタッフ、湯川さんが痛そうに手をひらきます。「もうこの3日間、掃いて掃いて、掃きどおしなの」と、見せてくれた“箒(ほうき)まめ”は赤くてとても痛そうです。

酒屋の吉村くんは腰を痛めそうだとベルトを巻き、酢屋の完ちゃんは日増しにやせて「5キロやせた」と、病院にも通いながら重い荷物を運んだり掃除をしたり。母も「10キロやせた」と、へこんだお腹をさすっています。だれもが肉体労働にスパートをかけたラスト1週間でした。

みんなが片付け、掃除をし、動かして、と激務をこなしている作業風景を、私は残念ながら撮れませんでした。なぜなら、私も、もちろん主人も両親も作業の一員。みなと一緒に、ほこりや泥、汗にまみれながら、山のようにあるものを片付け、捨てて、磨いて、洗って、運んで・・・、とてもカメラを持っていられませんでした。

そして迎えた最終日。夜の9時まで、片付け残しがないか、忘れ物がないか、汚れたままのところはないか、みんなで何度も点検をして。

最後の仕事が終わるまで、誰一人、先に帰る人はいませんでした。感慨深く、岩出の蔵での最後を全員一緒に迎えました。

すべての作業場の電源を落とし、門を閉めました。みなが集まった中、母は、みなの労をねぎらって、お寿司を配ります。

街灯と国道の明かりだけになった蔵の前で、主人は最後に、みんなの前で挨拶しました。

「今日でこの岩出の蔵を出ます。こうして無事、移転できたのは、連日遅くまで、みんながほんとに頑張ってくれたおかげです。ありがとうございました。明日からは桃山町ではじまります。桃山町の私たちの蔵で、元気な顔をみせてください」と、感慨深げにしめくくりました。

蔵人たちの最後の一人が車で去るまで、主人と両親で見送りました。

 

 

 

 

 

【日本酒】新蔵で初めての夏行事「呑みきり」

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酒蔵の夏の恒例行事「呑みきり」が、新しい蔵になって初めて行われました。

「呑みきり」とは、冬のお酒の造りが終わり、ひと夏を越えて熟成も進んだころ、すべてのお酒の具合を確認するために封を切る、貯蔵タンクや瓶内貯蔵のお酒を出して点検作業すること。

この日は、毎年、ふるさと但馬から杜氏さんもひさしぶりに蔵に帰ってきますし、和歌山県工業技術センターの先生方にお願いして、お酒の品質検査を行っています。

新しい蔵になって、初めての酒蔵の大事な行事。冬の半年間、昼夜問わずに醸したお酒が無事に維持、熟成されているか、緊張感のあるとても大事な行事に、酒蔵のスタッフも、あわただしく準備に追われていました。

到着した今田杜氏さん、元気な笑顔を見せてくれました。杜氏さんは、この日初めて新しい蔵をみました。蔵人たちが杜氏さんに話しかけています。製品管理部長の吉村さんも、杜氏さんに説明している様子。

「おやっさん(杜氏さんのこと)、どうですか」と、主人も聞きます。「いやあ、きれいですな。今までより、ずっと酒造りがしやすそうです。使ってみなければわからないが、今年の冬が楽しみです」と、笑顔がこぼれたので、ほっとしました。

 

ひんやり温度管理された蔵内で、一つ一つのタンクの口をあけて、お酒を慎重に取り出してゆきます。日本酒製造スタッフの池田さん(下)と児玉くん、梅酒製造責任者の上田くん(上)が手分けして開栓作業にあたっています。

酒蔵ならではの大事な行事。撮影隊の出動です。撮影の助っ人も動員しました。主人の姪っ子、小学5年生の「きっこちゃん」。夏休みをジィジとバァバのところで過ごしているのですが、発送作業や事務所の掃除を手伝ったりと活躍しています。撮影隊員として、この大事な日をいっしょに追いかけました。

 

きっこちゃんも、みんなが真剣に作業をしているところを、じっとみつめています。

 

 

 

 

 

 

 

 

弊社の日本酒、といっても、そのままお客様に飲んでいただく日本酒だけでなく、弊社の梅酒は日本酒仕込みなので、梅酒用に仕込んだ日本酒もあるし、食酢の仕込みでも日本酒を使うので、米酢用とか、いろいろなお酒がタンクの中に仕込まれています。

まず、温度や色、香りなどを点検してゆきます。県工業技術センターの先生方が、温度を計測してくださいます。

すべての貯蔵タンクの口を開けて中のお酒を中身を取り出したら、今度は、出荷を待つすべての商品の確認です。

机の上に並べられた商品と、きき猪口。

弊社では、できるだけ良好な環境で温度管理や品質管理をするために、お酒の種類のよって、タンク内で貯蔵するものもあれば、新酒がしぼられてすぐに瓶詰めをして瓶内貯蔵をして熟成させているものもあります。

それらすべての種類を、開封して、こんどはきき酒をして点検するのです。

また、勉強のために、他社様の商品も取り寄せ、みんなで味わいや香りをきいては、チェックシートに書き込みます。

日本酒製造部の面々。杜氏の今田さん(中央)、池田さん(左)、児玉くんも、手がけたお酒の状態を神妙な面持ちで確認しています。

 

 

 

 

 

【蔵の移転:回想5】7月1日、桃山町の新蔵、初日!

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伊勢神宮も出雲大社も遷宮を迎えた今年、弊社、九重雑賀も縁起にあやかり引っ越しました。晴天に恵まれた朝8時、昨夜の汗だらけの疲れ切った表情も一転して、晴れやか・・・というより、ほっとした表情のみんなの顔が、朝礼に並びました。

まだまだ新蔵内は、騒然としています。洗瓶機や詰め機などの大きな機材も、設置工事の真っ最中ですから、まだとても瓶詰めできる状態ではありませんが、これからここで、よい水、よい環境に恵まれた新しいこの地で、新しい「ココノヱ酢」や日本酒「雑賀」が生まれてゆくのです。

主人はみんなに話しました。「昨日まではほんとにご苦労さまでした。みなさんのがんばりと、お得意様のお力添えにより、念願の移転をすることができました。これから、さらに進化した食酢、日本酒、新製品を製造して行けるよう、みんなで頑張っていきましょう。まだまだ片付けが残っておりますが、体にだけは注意して、がんばってください!」

私たちの蔵、いよいよ今日2013年7月1日から、新天地で出発です。

 

【蔵の移転:回想6】事務所はお祝いの花、いっぱい

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「お花屋さんみたい!」、夏休みが始まって、ジイジとバアバのところにやってきた小学5年生のきっこちゃんも開口一番。

ほんとうにありがたいことに、日頃お世話になっている方々から、それは立派な移転のお祝いの胡蝶蘭や青々とみずみずしい観葉植物などが、次々と届けられました。仮の事務所内は花いっぱい。それはたくさんの真っ白なチョウチョが事務所を埋めているよう。「お店の開店でしか見たことなかったけど、こんなにたくさん並んでいるのは初めて見た」と、蔵人たちも訪れたお客様も、みな「わあ!」と驚く状態になりました。

これは、人生の中でもそう見られる光景ではないことに気付きました。そう何度も移転なんて・・・移転自体、そうあることではないのですから。

せっかくなので、蔵のスタッフに声をかけて、急遽、記念撮影と相成りました。

主人は言います。「この花いっぱいの光景は二度と忘れない。この8年間、がんばってきた蔵のみんなに対するご褒美だと、素直に思えるんだ。ほんとにうれしい。移転できた、と、その実感がしみじみわいてくる」と。

【日本酒】元日本チャンプご一行、来蔵!

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前の日から主人はうきうきしていました。朝、起きるとすぐにロードワークとボクシングジムでいつもの一人練習をして帰ってきた主人。汗を流したあと、先月観に行ったオリンピック金メダリスト、村田諒太のプロデビュー戦(応援したのは主人が長年お世話になっている、ワタナベジム所属の東洋太平洋チャンプの柴田明雄)の記念Tシャツに袖を通します。 そう、今日はバンダム級の元日本チャンピオン、島村聡一さんご一行が、私たちの蔵に来てくれるのです。

来蔵されたみなさんと、記念写真。おもわずファイティングポーズが出ます。右から2番目が島村さん。ご一緒くださったのは、島村さんの旅仲間のみなさん。左から鉄山さん、上村さん、右端は田路(たじ)さん。それぞれとても魅力的なみなさんで、もう8年も毎年一緒に、海、山歩き、修験道歩きとアクティブな旅をされ、この日も、蔵見学のあと南下し、熊野古道の里、中辺路町の備長炭職人のお宅を訪ねたり、海釣りをされるのだと、とても楽しそうです。

島村さんと主人との出会いは、ボクシングの舞台・・・ではないのですが、島村さんは現在は横浜反町の鳥料理、焼き鳥の人気店「纜(ともづな)」のご主人。絶品の鳥料理を出してくれるそのお店に、うちの日本酒「雑賀」を置いてくださっています。主人はボクサー同士のご縁なのか血が騒ぐのか、時々お邪魔してはお世話になっているのです。

新蔵は、作業場はほぼ出来上がって稼働をはじめていますが、事務所もまだ仮。これからはじまる二期工事が終わらなければ、お客様をおもてなしする応接間もありません。ですから、こうしてお客様をお迎えし、試飲などをしていただくのは移転後、初めてのこと。

桃畑に囲まれたうちの蔵、酒蔵からご案内します。麹室や絞り器など、製造部門と、年間通して温度管理が徹底できるようにクーラー、配管をめぐらした貯蔵タンク部分など。

日本酒、梅酒、ノンアルコール飲料の試飲も行いました。「きき酒」です。まずは、主人が試飲の仕方、色や香り、味わいなどの見方をレクチャーします。

なにしろ、料理人の島村さんはもちろん、下村さんは横浜唯一のふぐ料理店のご主人でミシュランの1ツ星も獲得しているという職人さん。鉄山さんも田路さんも、味わいに関しては一家言ある、食べること、飲むこと大好きなメンバーです。

「純米吟醸の山田錦のこの香りがたまらないなあ」「この純米吟醸は料理の味を邪魔しないんですよね」、「ぼくは純米酒の味わいが好みだなあ」などなど、それぞれの感想を聞ける時が私はとても楽しい。鉄山さんは、甘酒「麹の助っ人」を試飲して、「甘酒って麹の味が苦手で飲めなかったけど、これはおいしい!」と感激してくれて、私も感激!

酒蔵巡りと試飲体験したあとは、うちの蔵ならではの酢蔵へ。100年ものの大木桶もある木桶蔵に入ると「わあ」と声がわきます。醗酵中でむわっとあたたかい木桶の中をのぞいてもらいました。

事務所では会長の父と、看板娘の母をご紹介し、母の自慢の中辺路産らっきょうの甘酢漬けを味わっていただいて。

「すごく素敵なみなさんだったなあ。ぜひまた会いたいね」と、お見送りして主人と話します。名残惜しくて、中辺路の旅にもついて行きそうになりました。主人の海外出張がなければ行きました、一緒に。

「それにしても」と、主人。「島村さんの拳を間近で見たら、大きくて、すっごく堅そうなんだよ。パンチあるだろうなあ。殴られたら効くぞ。やっぱ日本チャンピオンはすごいよ」と、しみじみ。やはり主人にとってはボクサーのチャンピオンは格別な存在なんですね。

来てくださって、ほんとにありがとうございました。またぜひ、桃山に来てくださいね。次は、看板もあがって、もっともっと元気な蔵の様子を見てもらえるはずですから。

 

【蔵の移転:回想7】新蔵で初めての木桶の仕込み。酢蔵の新人、中森くん

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それは木桶の引っ越しが本格化する直前のこと。先に運ばれた木桶への、酢の仕込み作業が行われました。新しい蔵での初めての仕込み作業。創業当時から受け継ぐ酢酸菌を、この新しい蔵の木桶に根付かせる作業です。無事に根付いてくれるのか、新しい蔵でココノヱ酢の味が受け継がれるのかが、この作業にかかっています。

この記念すべき初仕込みに、今年1月に入社したばかりの酢蔵の新人、中森くんも真剣に取り組んでいました。

食酢の製造部長、“あにさん”こと福本貢さんから指導を受けながら、中森くんよりちょっと先輩の浦谷くんともども、仕込み方を学びつつの初仕込みです。

旧蔵から運んできた2年熟成させた酒粕「ふんごみ粕」を湯で溶いて、アルコールや湯をさらに足して木桶を満たします。

「おい!手が止まってる。桶の底からまんべんなくかき混ぜながら温度を計るんや」「温度が下がってきてるやないか。はやく沸かせろ!」と、モーター音が響く中、あにさんの大声が二人にとびます。

なにせ大きな木桶です。木桶全体をまんべんなく発酵に適した温度に調節するのも一苦労。カメラを桶に向けると、むせ返るような湯気が桶の中から吹き出してすぐに曇ります。みな汗だくになっての作業です。

真剣なまなざしで、あにさんの言葉をもらさずに会得しようしている中森くん。あにさんの作業の様子をできるだけ近くで学ぼうと、すかさず隣のはしごに駆け上がり、前のめりになって見ています。見て、触って、感じて、匂いをかいで、味をみて、体全体で学ぶことが大事なことを、中森くんは気付いているようです。 

さあ、最後に酢酸菌を入れます。これが、旧蔵から運んできた酢酸菌。創業当時から絶やすことなく受け継いできた酢の種です。タッパに入れて運ばれていました。液体の中に浮いている白っぽい膜のようなものがそうです。

 

桶全体にまんべんなく広がるように、ゆっくりと酢酸菌の入ったタッパを回し入れます。「どうか、しっかりとこの桶で菌が根付きますように」。タッパをもつ手に、祈るような思いが込められているのが伝わってきます。

ひとつ先輩の浦谷くんも、負けじとひとつの桶の仕込みをまかされます。

さあ、元気に発酵してくれますように。新しい蔵で生まれる初めてのお酢のできあがりが楽しみです。

中森くん、今日の日のこと、忘れないでいてくださいね。主人が言っています。「期待の新人なんだからな」って。

 

 

 

【日本酒・食酢】幸先良好!仕事始めに出品酒の袋づり。写真家 内山りゅうさんが来蔵!

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新年、明けましておめでとうございます。ぼちぼち発信の「蔵裏ブログ」ではありますが、昨年以上にもっと私たちの蔵の想いをお届けできるようがんばりますので、今年もどうぞよろしくお付き合いくださいね。

さて、真っ青な空と桶水も凍る、冷え込む6日朝、私たちの蔵も仕事始めとなりました。・・・といっても、日本酒蔵はお正月も無休で造りが続いています。そしてちょうどこの日に、大吟醸を酒袋でしぼる「袋吊り」という作業が行われました。

醸され、しぼり時を迎えたもろみを酒袋に入れて吊し、ゆっくりと時間をかけて自然にしぼる昔ながらの手法です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

せっかくなので、生物写真家の内山りゅうさんにお誘いのお声をかけさせていただいたところ、快く早朝はるばる、お住まいの白浜町からかけつけてくださいました。

内山さんは、淡水の生きものと、水をとりまく多様な命あふれる環境をテーマに長年取材を続けており、その貴重な記録とメッセージをさまざまなメディアで国内外に発信されています。

数多くの写真集を精力的に国内外で発表し、テレビ番組制作や出演、子供たちの「川ガキ養成講座」、講演、著名な芸術家とのコラボ企画までこなします。

数十キロの撮影機材を背負って、川だけでなく海にも潜るし山にも登る。まるで修行僧のように被写体に向き合い続ける取材姿勢そのものが、「情熱大陸」(TBS系列局)などのテレビ取材を受けるほど。

和歌山にこんなすてきな写真家がいるなんて、ふるさとの宝物だといつも思っています。(内山りゅうさんHP http://uchiyamaryu.com/

さあ、幸先よい新年の蔵のスタート。内山さんもこの日が仕事始めとのこと。久しぶりにお会いする内山さんは、13年ほど前に初めてお会いしたころと、やっぱり変わらない、引き締まってすがすがしい笑顔です。

うちの蔵は、食酢と日本酒の蔵が隣接していますが、食酢は酢酸菌、日本酒は麹菌と、どちらも「菌」という生きものを扱っており、特に酢酸菌が日本酒の蔵に入らないように、人も物も移動は厳密。よって、内山さんの撮影も、まずは酒蔵、そして酢蔵への順序です。

酒袋にもろみを入れて、ぽたぽたと袋から自然にしぼり出される大吟醸。しぼり落ちたお酒は、「斗ビン」と呼ばれる丸いガラスビンに流れ落ち、さらにこれを静置して自然に沈殿する澱(おり)をきれいに取り除いたものが、出品酒となります。今田杜氏さんが、しぼりたてをきき猪口に酌んでくれました。内山さんにきいてもらい、そしてみんなも。香りがフワァ~と立ち上り、口に含むとなんともフルーティーでほとばしるようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次に、食酢の蔵へ。30石の木桶が並ぶ蔵は壮観で、内山さんにとっても刺激的みたい。大きな木桶の足下に座り込んだり、リフトに登って上から眺めたりと、静かな蔵内に長い間シャッターの音が響いていました。

 

和歌山のすぐれた水、そして、こうした目に見えない生きものが支えてくれている和歌山の「食文化」。川や田んぼの生きものだけでなく、私たちの蔵そのものの息づかいを、内山さんが同じ眼差しで見てくれたことが、ちょっと誇らしくて、ほんとうにうれしかったです。

蔵に息づく「菌」たちも、ざわざわと喜んでいるように思えました。

 

 

 

 

 


桃の花に囲まれた蔵

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昨年、移転したのが7月だったので、ここ桃の名産地の紀の川市桃山町が、まさしく「桃源郷」となる風景はまだ見たことがありませんでした。桃畑に囲まれた私たちの蔵。どんな色合いに染まるのでしょう。

春休みに入り、姪っ子のきっこちゃんも遊びに来ました。もうすぐ小学6年生です。事務所兼両親の自宅も桃畑に隣接した敷地内に出来上がったばかりで、食堂の窓からみえる桃の花畑に「ピクニックしているみたい!」と笑顔。4月1日、桃の花もまもなくピークなのでしょう。さっそく、撮影隊を結成し、桃の花にかこまれた蔵の風景を探索にゆきました。

3月半ばから梅の季節に続いて今年は桜、菜の花が咲き始めて春の華やかな色合いに染まるころ、ぽってりと膨らみ、濃いピンク色にそまっていた桃のつぼみがぽつぽつと咲き始めました。

_MG_2813咲き始めたら早いもので、あたたかい日が続くと日増しに町一面が桃色の霞がかかったように、なんともやわらかい花の色どりで染まってゆきます。あたり一面に淡く甘い香りも漂って、桜や菜の花まで満開に向けて力いっぱい咲いてくるものだから、沸き立つように花の色どりに町が覆われてゆきます。

私も毎日和歌山市内から桃山町に入るたびに、日増しに花に覆われていくのに心沸き立ってわくわくしてきます。蔵のみんなも、明るい風景にさわやかな風が蔵の中を通り抜け、心地よい季節を実感しているみたい。

【新蔵周辺の風景】酒蔵の窓からのぞむ桃畑に囲まれた蔵からの風景1酒蔵の2階から見わたすと、背後の百合山のふもとから続く、まるで淡いピンクの絨毯を敷いたよう。_MG_6171

 

【新蔵周辺の風景】酒蔵の窓からのぞむ桃畑に囲まれた蔵からの風景6

 

 

 

【新蔵周辺の風景】酒蔵の窓からのぞむ桃畑に囲まれた蔵からの風景4

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そうそう、ちょうど新調した蔵の前掛けが出来上がってきました。なかなかな仕上がりです。きっこちゃんも喜んで着用してくれました。さあ、心機一転、この地で蔵の花を咲かせていかなきゃ、ね。

 

 

 

 

 

 

やっとやっと超高齢妊婦になりまして、里帰り中です。

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私ごとで恐縮なのですが、蔵に嫁いで4年、やっとやっとコウノトリが舞い降りてくれました。4月29日が予定日で、もう間もなく、なのです。やり残したこといろいろあるけど、予定日まで一カ月を切り、取り急ぎ実家のある田辺市に里帰り中です。久しぶりの長期の実家帰省とあって、山の親友たちがお腹をさすりに来てくれました。

思えば39才になる3日前に入籍し、赤ちゃんは高齢だとそう簡単にできないことを知った40才から火がついた不妊治療も3年になりました。 43歳で念願のお母さん。主人や家族の支えはもちろん、家族同然に過ごしてきた友人や日本各地の先輩方など多くの支えをいただきました。今の私があるのは、こんなにみんなに支えられ、育てられてきたからなのですね。たくさん励まし、アドバイス、祈念もしてくださり、日本各地からお守りも送ってくださったりと、感動すること多々。東へ西へ、神さま仏さま、ご先祖さまにお願いして、やっとやっと授かった宝物。ここまで大きく育ってくれてたお腹をさすりつつ、心からほんとにうれしくて、幸せいっぱいに妊婦生活を過ごしています。

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里帰りする2日前、熊野修験の今年の 葛城行初日、友が島行の日を迎えました。昨年は、みんなで何度も手厚い子授けのご祈祷をしてくださったのです。願いが通じて授かった命。妊婦姿をどうしても見てもらいたくて、フェリー乗り場までお見送りにゆきました。すると、あいにく海が荒れ模様で友が島には渡れなかったけど、島をのぞむ「阿字ヶ峰 行者堂」と、淡島神社でみなで安産を祈ってくださいました。

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「『阿(あ)字』とは、『はじまり』。赤ちゃんも最初に発する言葉は『阿』といわれています。桂さんの里帰りをお送りするのにピッタリのお参りですね」と、花井行者が勤行前にあいさつしてくれた花井行者。

里帰りしたら、今度は熊野の山の重鎮たる大先輩たちが、山の作家の宇江敏勝さん宅の囲炉裏でお花見会をするとのこと。せっかくなので車で走り、みんなにお腹をなぜてもらいました。

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こぼれる笑顔で「おめでとう!」と迎えてくださり、「自分の孫のようだ」とお腹をさすってくれました。最高の安産祈願です。もうやることはすべてやった!そんな状態で、ほんとにたくさんのお力添えの上に迎えた臨月。想いが通じたのです。

昨年7月、悲願だった蔵の移転ができて紀の川市の桃山町に引っ越し、その8月、妊娠検査薬(+)に、主人と涙して喜びました。主人はしみじみ「やっと、子供が安心してきてくれる状態になったんだなあ。『もう行ってもいいか』って赤ちゃんがね。安心して生まれることができる家がもてたんだなあ」と。

実家のある田辺市は、世界遺産の熊野古道の拠点でもある海と山の自然がいっぱい。桜が終わり、春爛漫、新緑がもりもりと盛り上がって、まさに「山笑う」頃、生まれるわが家の赤ちゃん。いつ出てきてくれるかな。

蔵に娘が産まれました。「れい」です。

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もう数日で師走というのに、ご報告がすっかり遅くなってしまいましたが、今年、蔵に娘が産まれました。

それは新緑のまばゆい5月1日の真昼間に、家族や助産師さんも、びっくりするほどおおきな産声をあげて、元気な娘が産まれました。 やっとやっと授かったこの娘に、主人は「れい」と名付けました。

「0」=「無」。無は天地万物の根幹であるとする老子の言葉、「無為にしてなさざるなし」の「無」。「無」限の可能性がこの子に広がっていることを願い、そして、たくさんの方々の支え、神仏のご加護を得て授かったことへの、御「礼」の気持ちを込めました。

s-DSC_1835帝王切開でしたので、それまで長い間、待ち望んでいたのがうそのように、手術室に入るとあっという間に出てきました。甲高く、それはそれは大きな声で泣いたのです。ようやくこの手にわが子を抱けるのだと、娘が今、そこに存在するのだと、現実が実感となって湧き上がって、涙が出ました。

泣いて、ミルクをたらふく飲んで、途中で眠たくなって、お腹にいたときのように手足をきゅっと縮めて丸まって寝ている姿は、まるでヤマネの冬眠みたいで、ほんとにかわいい。

2014050514340000 母乳はほとんど出ないけど、食いつくように懸命に吸ってくれる。それがどんなに幸せなことか。主人は言います。「甥っ子や姪っ子がどんなにかわいくても、おっぱいを吸ってくれるのは自分の子供だけだぞ」って。s-DSC_1836

里帰り出産でしたから、病院まで近しい仲間たちが次々とお祝いに訪れてくれました。ちょうどゴールデンウイークの中日。山の大先輩で親友のえっちゃんは、私の数年にわたる不妊治療中、いつも支えてくれました。苦労して授かったことを知っているので、主人に会うと思わず主人の手を握って「おめでとう、おめでとう!ほんとに、よかった!」。s-DSC_1916

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そして、この日をずっと待っていた姪っ子のきっこちゃん。「産まれたらすぐに知らせてね!学校休んでとんでいくから!」と言ってくれていたほど、まるで妹のように心待ちにしてくれていました。目を輝かせて病室に入ってきて、れいをのぞき込み、そしてほんとにうれしそうに抱っこしてくれました。「れいはきっこちゃんの子分。よろしくね」と言うと、「うん!いっぱいお散歩して、あいさつも教えて、本も読んであげて、いっぱいれいちゃんと遊ぶんだ 」。 幸せな娘です。s-DSC_1810

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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たくさんの想いに支えられてこの子に出会えた、最高に幸せな新米の父と母になりました。 どうかこれからも変わらずご教授いただけますように。

「れい」です。末永く見守っていてくださいね!

 

 

 

移転報告会&蔵見学会に全国から100人を越す方々!

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s-s-表札2

今年の蔵の一大事のひとつがこの移転報告会でした。9月17日、18日の2日間、弊社の移転報告会と蔵見学会を開きました。写真は、主人が初めて掲げた表札です。報告会の前日にお目見えしました。ここが、私たちの蔵です。 s-P1280014

移転を乗り越えようやくここ紀の川市桃山町に市が企業誘致してくださり私たちの蔵をもつことができたのが昨年7月。これまで苦しい時代を支えてくださった全国からのお得意さま、移転を一緒に進めてくださった方々など100人以上にもなる方々がかけつけてくださり、とても晴れやかな気持ちで蔵のお披露目ができました。

私たちの蔵は先代までは長く和歌山市友田町、そして新しい会社「株式会社 九重雜賀」を主人が立ち上げ、岩出市での賃貸蔵を経て、ここ紀の川市にご縁をいただきました。住所は桃山町元。桃の名産地であり、なにより創業者、曾祖父の豊吉さんの妻、曾祖母の名前「元(もと)」と同じ地名に家族みな馴染みを覚えたものでした。ここはもとはJA紀ノ川の選果場跡地。リフォームし、その後、1年ちょっとかけて本社、酢蔵、日本酒蔵の設備を徐々に整えてのようやくお披露目です。 s-_1000530 s-_1000531

「株式会社九重雑賀 本社および食酢、日本酒製造場移転報告会」。会場となった和歌山市内のホテル、アバローム紀の国様には大変お世話になりました。急な開催にもかかわらず、段取りよく準備を進めてくださり、料理長も弊社のお酢を使ったお料理に力をふるってくださるなど、心のこもったお迎えの場をできる限り用意することが叶いました。

蔵が移転するということは、全国的にもとても希なことだと思います。紀の川市に落ち着くまでのこの約10年、お得意様や関係業界の方々にいろんなご心配をおかけしたにもかかわらず、それでも蔵や家族を力強く支え、応援してくださってきたからこそ乗り越えることができました。しかし、このような報告会は、新築の立派な蔵を建てた場合にするものではないかと二の足をふんでいた主人に、同じ蔵元として、先輩として、兄貴のように長い間、主人を助けてくださってきた静岡県の初亀醸造の橋本社長、岐阜県の玉泉堂酒造の山田社長が、「雑賀やれ!報告会を盛大にやろうじゃないか」と、主人の背中を押してくださいました。

少数精鋭の弊社ですが、社員全員がスーツ姿、それに洋子ママも私も、「ここで着なければ二度と着る機会がないかも」と、結婚式以来の着物姿でお迎えしました。この日をどれだけ待ち望んできたか、和歌山市から2度の移転を経験した営業部長の福本完ちゃん、管理部長の吉村くんをはじめ、みな精悍で晴れやかな表情です。 s-_1000538 s-スナップ1 s-すなっぷ2

会場には全国から蔵元の先輩方や酒販店さま、県工業技術センターの先生方はじめ、大がかりな移転を引き受けてくれた特種運搬会社のARMの田中ご夫妻や鉄工所の寺田社長の顔も見えます。大きな会場がすっかり埋まりました。

蔵の歴史から今回の移転の経緯、移転の様子、新しい蔵の紹介をスライドでまずは報告。長い間、生まれ育った友田町時代を振り返ることのなかった主人が、今回の報告会を機にやっと思い出のつまったアルバムを開きました。私にとっても、嫁ぎ先の過去に初めて触れることになりました。

事業、業績報告につづき、社員一人ひとりもあいさつと自己紹介。

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続いて利き酒、利き酢会。

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そして懇親会です。

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懇親会では、まずは中村慎司 紀の川市長が、雜賀一族や和歌山で深く愛されてきた九重酢にもふれ、「しっかり稼いで紀の川市にたくさん税金を!」と粋なあいさつで会場を沸かせてくださいました。s-_MG_7615

続いて、長らくお世話になっている「はせがわ酒店」の長谷川社長がほんとに男前で素敵なあいさつをくださいました。胸にきゅっときます。どんなに雨が降ろうとも、「いつでも傘をさすぞ」と主人を支え続けてくださった長谷川社長も、主人にとってはかけがえのない兄貴分のひとり。s-_MG_7624

鏡開きは、数え切れない無理難題を乗り越えて移転を成功させてくださった方々と。

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乾杯のあいさつは、それこそ雜賀の家族ひっくりめて長い間応援してくださった姉貴分、執筆家の藤田千恵子さん。愛情いっぱいのあたたかさで、乾杯の盃と会場 を満たしてくださいました。 s-_MG_7636 s-_MG_7640

中締めのあいさつは、主人の後輩で県議の森れい子さん。なんとも和やかな中に締めの一本締めできめてくれました。 s-_1000611 s-_MG_7642

日本全国からかけつけてくださった方々は、私は初めてお会いするお得意様ばかり。十分なご挨拶もままならず、怒涛のように終わった一日目。5か月の娘、れいも、実家の母に子守され、しっかり控室でお役目をはたしてくれました。蔵のみんなと、記念写真。 s-記念写真1 s-記念写真2

翌日は、蔵見学会。60人近いお客様が桃山町まで来てくださいました。酒蔵、酢蔵の蔵人たちも総出で気合を入れてご案内しました。 s-_1000614 s-_1000634

晴れのときも雨の時も、九重雜賀を守り育ててくださってきた方々がいて今の蔵がある。嫁にきてまだ5年そこそこの私には、その重みがひしと身に染みました。たとえ蔵そのものが古くからのものを受け継げなくても、大事なのは、人と人とのご縁をつないできたのは裏切らないモノづくりの責任。それを受け継いでここまできたのだと、改めて思いいたった次第。ちょっと武者震いしながら。

主人の口癖「まだまだ、もっともっと」をこれから、ここからスタートしてゆくのです。

 

今週末6月27日(土)あさ9時30分から、テレビ朝日「食彩の王国」に登場します!

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6月27日(土)朝9時30分から、テレビ朝日「食彩の王国」で、私たちの蔵とファミリーが登場します!テーマは「お酢」。関東ローカルなのですが、ぜひ関東のみなさま、みてくださいね!

蔵女将、洋子お母さんがお酢料理を頑張る!

蔵女将、洋子お母さんがお酢料理を頑張る!

育児と日本酒づくりのシーズンを怒濤のごとく終えて、気がつけばもう夏直前!?

ブログ発信をすっかりできないままの情けない若女将ぶりですが、テレビ取材をこのほどしていただきました。

うちの娘も、酢飯を食べる1歳児でテレビにデビューをはたしました(苦笑)

酢蔵が今回の舞台。主人も熱い思いをこれまでを振り返って語った・・みたい。

酢蔵が今回の舞台。主人も熱い思いをこれまでを振り返って語った・・みたい。

テレビ取材のスタッフのみなさん、朝早くから夜までほんとに一生懸命に取材をしてくださり、蔵人も主人も家族もみな熱意に後押しされて、緊張してるまもなく頑張りました。ほんとにいい勉強になりました。

ナレーションは、なんと薬師丸ひろこさん。大ファンです~!!幸せです。

関東ローカルなので私たちも当日は見ることが出来ないのですがぜひ、関東方面のみなさま、お時間がありましたら見てくださいね!

【日本酒】2015年全国新酒鑑評会で金賞!「大吟醸 雑賀孫市」

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別格大吟醸 雑賀孫市 1.8L 720ml

本年度、第103回全国新酒鑑評会(広島県)で、弊社の「大吟醸 雑賀孫市」が金賞をいただきました!

蔵をここ紀の川市桃山町に移転して2回目の日本酒造りでいただいた金賞。蔵人、そして家族それぞれが、これまでの波瀾万丈だった10数年を振り返り、それぞれの想いを重ねてほんとに感動して喜びました。

蔵を移転する、ということは、水や温度などとりまく環境からはじまり、すべてが初めてな状況で造りをスタートさせるということ。少数精鋭で、移転という引っ越しだけでも大仕事だったのに、夏に引っ越してすぐ造りのシーズンに突入した初年、そして2年目。それぞれに秘めた不安感というのは、ものすごかったにちがいありません。

今田杜氏さんも、数少ないメンバーとともにこの変化を精神を研ぎ澄ませて乗り越えてくださいました。s-_MG_8848★

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こうしていただいた金賞!念願だった蔵の移転から2年目、そして、内輪ごとなのですが、待望の娘れいが生まれた年に醸された日本酒が金賞をいただいたことが、なんともうれしくて。二十歳になったれいと、このお酒で乾杯する楽しみができました。れい1歳です。

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やっと落ち着いた感がでてきた・・・!?いえいえ、やっとこれから!という気持ちで蔵人も家族も盛り上がっております。

 

 

 

【点字】サイトワールド2015に「点字首かけ」商品を初出展!

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11月1~3日、東京墨田区のすみだ産業会館で開催された、視覚障害者向け総合イベント「第10回サイトワールド2015」(サイトワールド実行委員会主催)に、食酢、日本酒をつくる蔵元として初めて出展しました。

同イベントは「ふれてみよう! 日常サポートから最先端テクノロジーまで」と題し、最先端の技術・機器、日常用品、および、ユニバーサルデザイン(UD)製品等の展示会、講演会、学会発表、フォーラム、体験会等が催される、世界でも例を見ない視覚障害者のための総合イベントです。
サイトワールドホームページ(サイトワールド2015のページ

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弊社は今年8月、食酢とノンアルコール飲料の商品の首かけにユニバーサルデザイン(点字印刷)を導入。点字の文面の作成をお願いしている特定非営利法人グローイングピープルズウィル様にお力添えをいただき、今回サイトワールドに参加することになりました。

首かけに商品の名前や説明を点字で入れた弊社の食酢、調味酢、ノンアルコール飲料

首かけに商品の名前や説明を点字で入れた弊社の食酢、調味酢、ノンアルコール飲料

点字入りのパンフレットも準備

点字入りのパンフレットも準備

会場では、主人が商品や蔵の説明を、またグローングのスタッフの方々も、商品の説明や試飲、販売などを担当してくださいました。グローイング様は、弊社の商品を通じて、点字使用者への情報提供、障害者施設への仕事発注を行い、売り上げの全収益を途上国の就学困難児童への支援に充ておられます。

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弊社がこの取り組みをはじめたのは、社会福祉法人 視覚障害者支援総合センター元施設長様から、点字印刷されている商品はまだまだ少なく、その内容もごく限られた情報しかなく、視覚障害者の方々が、商品を選択する楽しみもなく使用するのにも大変苦労していることをお聞きしたからです。

 

 

食酢の一世帯当たりの使用量が日本有数の地域であり、お寿司の発祥の地とも言われている和歌山県で食酢・日本酒・梅酒を醸している弊社が、視覚障害者の方々のご要望に少しでもお応えできれば、との思いから、ユニバーサルデザイン(点字印刷)の首掛を導入しました。

点字内容(点字の文言)は、グローイング様に作成してもらい、点字印刷は視覚障害者支援総合センター様に依頼。それにより、商品をご購入頂いた金額の一部を、印刷費(工賃)として社会福祉法人視覚支援センター様に還元させていただいております。

今回のサイトワールドで食品を扱っていたのは弊社だけ。「ふれることで食酢と日本酒づくりの空気を感じてもらおう」と、会場に弊社の古い酒樽や麹蓋(こうじぶた)も持ち込み、商品の試飲はもちろん、酒樽などの道具を訪れた方々にたくさん触ってもらいました。
まるで全身で感じるように、お酒づくりの道具をとても熱心に丹念に触ってくださり、主人の話を聞きながら興味津々な声や笑顔がわきます。

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たくさんの方々とお話しすることができ、喜んでいただけたことがなにより嬉しい2日間でした。首かけに点字を入れるだけでなく、それを手にした消費者の生の声を聴くことができ、「ちょっとしたことだけど、点字、やってみてよかったなあ」と主人もより実感がわいたよう。

私も初めての体験で、娘れいを連れて応援?に行きました。拝見しながら、もっとこうしたらいいかもしれない、など気づかされ、とても勉強になりました。

会場には盲導犬もいて、れいは同い年の男の子と一緒に目を輝かせて、すっかり入りびたり状態に。

 

 

 

 

 


「和歌山県100年企業表彰」をお受けしました!

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表彰の盾と賞状
和歌山県内で100年以上にわたって伝統技術や事業を守り、県の経済発展に貢献した長寿企業を表彰する「和歌山県100年企業表彰」。創業明治41(1908)年、107年の歴史を守り継ぐ弊社も今年、表彰をお受けしました。表彰式は11月30日、和歌山市のホテルアバローム紀の国で開かれました。

県が平成19年度から実施し、今回で4回目。これまで何度も表彰の打診をいただいていましたが、自社の蔵を無事移転させ、これまでの厳しい年月を支えてくださった皆様に対し、経営者としてご報告する責任と御礼の気持ちを込めた「移転報告会」(2014年9月、同じくアバローム紀の国様で開催)を終えるまでは受けられないのだと、主人が頑なにお断りしていました。

この表彰の日を、私ども、特に主人は特別な思いをもって迎えました。この「100年企業である」という県からの表彰は、主人にとって「守りきった」という大きな節目だったのかもしれません。

107年を生き抜くということは、容易ではありませんでした。この10年で、古くからの蔵や自宅を無くし、2度の移転、決して環境がよいとはいえない場所で高額な賃料を払いながらの「借り蔵」時代もありました。それでも法的手続きを受けず(「県100年企業表彰」の中には民事再生法を受けた会社もあります)、食酢、日本酒、梅酒を休むことなく作り続けてきました。

「創業当時から受け継ぐ酢酸菌と大木桶、そして苦しい時も僕についてきてくれたスタッフが一番の財産」と主人は言い続けてきました。

そしてようやく、紀の川市桃山町にご縁をいただき、この地で自社蔵を再興することができました。

表彰式の朝、主人は祖父である2代目雜賀豊太郎が、和歌山市の老舗テーラー「TABATA」(今はありません)で誂えたスーツに袖を通しました。それは偶然にも移転の際に整理していた荷物から出てきたものでしたが、まるでこの日を迎えるために、孫である主人へのプレゼントのように出てきたのです。お洒落だった豊太郎さんが若かりしころ40、50歳代に着たものと思われますが、今から50年以上も前のスーツ! しかしながら、色褪せも虫食いもなく、パリッと引き締まった恰好のよいスーツで、それは不思議と今の主人の体にどこもかもピッタリと合いました。

この日の朝、会社で、移転をした年に生まれた娘れい(1歳)を抱きしめてから、主人は表彰式にむかいました。

表彰式日の俊光とれい

【蔵見学】紀の川市少年少女発明クラブ 小学生たち26人が社会見学

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紀の川市の小学3年~6年生が所属する、少年少女発明クラブの子供たち26人が、1月20日、初めて私たちの蔵の見学に訪れました。

弊社としては、子供むけに蔵見学をするのは初めてのことです。

同クラブでは、学校や家庭では体験できない「やりたい」「見たい」を積極的に実現しようと活動しており、一年を通じて、ものづくりや社会見学などを行っているそうです。

今回は第10回活動の「社会見学」として企画されました。

可愛い子供たちがバスで到着しました。

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まずは蔵の説明を社長から。

わたしたちが、食酢と日本酒と梅酒などリキュールを造っている、全国でもとても珍しい蔵であること、日本酒の酒粕からお酢がつくられること、和歌山が日本トップクラスのお酢の消費量があること、お寿司の発祥の地であり、日本の食文化にお酢は欠かせないこと、そして、和歌山で一番たくさんのお酢を使っていただいていることなどを、お話ししました。

さて、まずは日本酒の蔵見学から。

お酢をつくる酢酸菌はとても強く、日本酒の蔵に持ち込め厳禁のため、まずは日本酒の蔵からの見学です。このような注意は、弊社ならでは。

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日本酒の製造スタッフから、つくる工程を教わります。

大きなタンク内では、まさに日本酒がぶくぶくと発酵している最中。大きな酒米を蒸す釜やしぼる機械、麹をつくる室(むろ)などをみました。

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日本酒は大人の飲み物。そのため、おいしいお酒づくりの要のひとつ、麹を味見してもらいました。真っ白い麹をつまんで、口に入れると「甘い!」「木の実みたいな味がする」と、目を輝かせていました。

次は食酢の蔵見学へ出発。

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大木桶がずらりと並ぶ酢蔵は、お酢や酒粕を長い間、熟成させているため、お酢や菌など独特な匂いがします。

創業以来、100有余年受け継いできた酢酸菌と木桶で醸す、創業以来、変わらぬ製法のお酢造り。

恐る恐る木桶にのぼって中をのぞくと、酢酸菌の膜が張り、ほんわか湯気たつ発酵中のお酢です。

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食酢商品の試飲は、子供たちにも体験できます。「このお酢、見たことある!」と、お姫様ラベルのココノエ酢を指さして教えてくれる子供たちに、食酢製造スタッフもうれしそう。

普段、そのままで味見することのない調味料ですが、お酢にも、いろんな種類があること、また、ぽん酢やだし酢、柚子皮の入った寿司酢など、興味津々で味見をしてくれました。

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見学を終えて、レポートを作成する子供たち。

後日、発明クラブからお礼の手紙を頂戴いたしました。

「・・・・・子供たちが普段家庭でよく見る「お酢」が、地元紀の川市で歴史ある大きな樽(注:大木桶のこと)でたくさん作られていたなんて、と興奮気味に私たちに話してくれていました。まさか自分たちより大きな樽が地元の会社に数十個もあって製造されているとは思わなかったのでしょう。それだけでなく、「日本酒」や「梅酒」なども作っていることは、子供たちにとって、たいへんな驚きだったようです。

当日、さまざまな種類のお酢を試飲させていただいて、普段直接お酢を口にすることの少ない子供たちが、酸っぱそうな顔をして、味の違いに興味を示しており、有意義な社会見学となったと思いました。・・・・・」

 

また、子供たちのレポートも添えられており、

一番の発見は、

 

「ぽん酢がお酢だったこと」

「お酒やお酢がお米からつくられていること」

「すは何日間もはっこうさせてつくっていること、お酒をつくるときにできた酒かすで、すをつくっていること」

「おかあさんがつかっているお酢がココノエのだったこと」

「おすにもたくさんの種類があること」

「和歌山が日本一お酢を使っていることを知った」

「お酢がなんにちもかかってつくられていること」

 

などなど、純粋な発見、驚きがたくさんあったようです。

 

そして、たくさんの「ありがとう」と、「これからもがんばってください」のメッセージとともに届けてくださいました。

もちろん、蔵のスタッフ全員で、回覧して拝読させていただきました!

 

 

 

 

 

 

 

機会を積極的にもの

 

 

【イベント】満員御礼!南海電鉄加太線「めでたい電車」で堪能する「地酒と鯛づくし料理」の旅

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南海電鉄加太線を走る鯛デザインの観光列車、その名も「めでたいでんしゃ」の車内で、地酒と料理を味わうイベント「めでたいでんしゃで楽しむ地酒と料理のマリアージュ」が、3月24日に開かれました。

弊社のしぼりたての日本酒やリキュールはじめ、多彩なラインナップがすべて飲み放題。そして、メディアで「日本一の定食屋」とも称されてきた和歌山市の定食屋「まかない亭」様の特別会席、加太名物「鯛」の「鯛づくし会席」を堪能しながら、和歌山市駅~南海和歌山港線~加太線をめぐる旅。

そして、南海電鉄が県、和歌山市と進める市駅前の活性化に向けた取り組みの一環。今回は25日に開かれる「孫市まつり」に合わせて、雜賀一族の末裔でもある弊社とコラボしました。

春爛漫の車窓を楽しみつつ、まずはスパークリング梅酒で乾杯!お料理とともにしぼりたての生酒も続々。まかない亭様のフルコースは、弊社のお酒に合うようにコーディネイトされています。

一気に春到来で桜も咲き始めた好天気!

一気に春到来で桜も咲き始めた好天気!

めでたい電車の車内は愛らしい「めで鯛」一色!ハートの鱗は社内の幸運スポット

めでたい電車の車内は愛らしい「めで鯛」一色!ハートの鱗は社内の幸運スポット

なんといってもピンク色の“めで鯛”デザイン、内装もソファーやつり革、壁飾り一つ一つが愛らしく、縁起の良さに満ち溢れた特別臨時列車。社内には、地元加太小学校の子供たちの愛らしい絵がいっぱいに飾られています。

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満員御礼!ホームでお客様がお待ちです。

満員御礼!ホームでお客様がお待ちです。

満員御礼!約60人のお客様を乗せて、出発しました!

日ごろは日本酒、食酢、梅酒など、製造現場で尽力している弊社スタッフも総動員され、お客様と直接お話しするとても大事で、楽しい機会です。

この日は、南海電鉄の車掌さんも、司会者も、「加太」前掛けでおもてなし。マイクは車掌室から。

この日は、南海電鉄の車掌さんも、司会者も、「加太」前掛けでおもてなし。マイクは車掌室から。

弊社の雜賀社長もみなさまにごあいさつ。お酢とお酒の蔵のご紹介を。

弊社の雜賀社長もみなさまにごあいさつ。お酢とお酒の蔵のご紹介を。

 

「日本一の定食屋」とも称される、「まかない亭」さんの宇治田社長も、この日の「別誂え 鯛尽くし」の料理を説明してくれました。お酢は弊社の九重酢をおつかいくださっています。

「日本一の定食屋」とも称される、「まかない亭」さんの宇治田さんも、この日の「別誂え 鯛尽くし」の料理を説明してくれました。お酢は弊社の九重酢をおつかいくださっています。

 

◆◆◆ お品書き ◆◆◆

【お料理】

鯛とワカメの黒潮マリナード

熟成三元豚のミニかつ(梅塩と共に)

鯛の龍飛巻、サーモンの鳴門巻

鯛ご飯

【お酒】

食前酒 スパークリング梅酒 雑賀

春辛口吟醸 雑賀 本生 スプリングエール

純米吟醸 雑賀 にごり ネージュブラン

山田錦 純米大吟醸 雑賀 本生

“雑賀蔵の隠し酒” 大吟醸 雜賀孫市 袋吊り斗瓶どり

デザート酒 雑賀 柚酒

※お酒をお飲みにならない方には、ノンアルコール雑賀 梅 ロックンプラムをご用意

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乾杯のあと、早速お料理を楽しみながら、飲み放題の車内。春の陽気もあって、すでに楽し気な雰囲気です。

中でも、特別酒、“雑賀蔵の隠し酒” 大吟醸 雜賀孫市は、蔵内でもまず味わえない、袋吊り斗瓶どりの生酒。そのフレッシュで芳醇な味わいは、お客様も声をあげて喜んでくださいました。

なんとお洒落で品のある「まかない亭」さんのお料理。一品一品が絶品です!

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日ごろは日本酒、食酢、梅酒とそれぞれの製造現場でがんばって蔵の味を支えてくれている弊社のスタッフ。この日は、お客様へのサービスに徹しました。

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喜んでくれているお客様の顔、お褒めのお言葉を直接いただくことができ、造り手としてはなにより嬉しい体験だったと思います。

雜賀衆の末裔でもある弊社。雑賀祭りとのコラボ企画もあり、加太駅では、なんと甲冑鯛がお出迎え。

雜賀衆の末裔でもある弊社。雑賀祭りとのコラボ企画もあり、加太駅では、なんと甲冑鯛がお出迎え。

そして、加太駅に到着すると、ホームには雜賀鉄砲衆の甲冑鯛隊がいさましくお出迎え。お客様もどよめきます。

翌25日は恒例の「孫市まつり」。弊社は雜賀衆の末裔でもあり、PRを兼ねて、いぶし銀のような熟練の甲冑鯛が出動してくださいました。

菜の花満開の駅で、記念写真に「エイ、エイ、オー」の掛け声まで、盛り上げてくださいました。

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お土産には塗り升のほか、「めでたい電車」特別仕様のワンカップもご用意しました。

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最後は、じゃんけん大会!残ったお酒を景品に、盛り上がりました。

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南海電鉄のおもてなしスタッフの皆さま、「まかない亭」のスタッフ様、そして弊社スタッフ一同、笑顔でお客様をお見送りすることができました!楽しかったです!

南海電鉄のおもてなしスタッフの皆さま、「まかない亭」のスタッフ様、そして弊社スタッフ一同、笑顔でお客様をお見送りすることができました!楽しかったです!

 

 

 

 

【食酢】お手頃になったこの時期にぜひ!イチゴのサワードリンク

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去る4月11日に、衛星放送テレビ、BS-TBS「美しい日本に出会う旅」にてご紹介いただきました弊社の蔵風景と、恥ずかしながら台所でおつくりしたのが「吟醸酢」を使ったイチゴのサワードリンクでした。

全国放送とはすごいもので、その後、思いもよらぬ県外からのお電話や来訪をいただき、聞かれたのが「あのサワードリンクのレシピを教えて!」でした。

 

地元紀の川市ではイチゴ栽培も盛んで、3月半ばから5月ごろまで、産直物産店にいくと果物の棚はキラキラと輝くイチゴので真っ赤。

ジャム用や不揃い、小さかったりと、そのまま食べても美味しいのにお手頃な価格のイチゴがあり、この時とばかりにせっせと購入します。

気温が上がって、イチゴの時期終盤になるとさらに価格も落ちてくるので買わずにはいられません。

 

●作り方

レシピは簡単です。

イチゴ:氷砂糖:お酢 = 1:1:1

お酢が強いと思われる方、甘めがお好きな方は、お酢を3分の2、もしくは2分の1に減らしてみてください。イチゴシロップのようになります。

イチゴはヘタをとって洗い、水気をとります。湯洗いした瓶に、イチゴ、氷砂糖、お酢の順にいれるだけです。

イチゴが多い場合はイチゴ、氷砂糖、イチゴ、氷砂糖にします。

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イチゴが多少、液面から出ていても、数時間後には氷砂糖がとけはじめてちゃんと浸かります。イチゴにお酢がかかるよう、ざっくりとまぜておきます。

毎日、瓶底に溜まった氷砂糖が溶けきるよう、底からゆっくりゆすります。

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漬けて3日後から、お召し上がりいただけます。イチゴ酢はすでにきれいな赤色に。

7日ほど経ったら、漬け込んだイチゴを取り出して、イチゴ酢は煮沸した瓶などにいれて保存。

取り出したイチゴも美味しくいただけます。刻んでヨーグルトやアイスに混ぜてもよし、

炊いてジャムにしてもよし。すぐに使わない場合は、冷凍庫で凍らせておきます。

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●お召し上がり方

5倍希釈が目安です。冷たい炭酸水で割るとイチゴソーダ、牛乳で割るととろりとして、イチゴミルクのようになります。

牛乳で割ったイチゴミルクに、刻んだ漬けイチゴをまぜて凍らせた即席アイス、さっぱりしていますが4歳の娘も喜んで食べます。

 

 

新年に寄せて - 「軌 跡」

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日本で唯一大木桶を製作されている藤井製桶所様が2020年に木桶の製作から引退を表明。木桶は、弊社の「赤酢」を醸すのには、なくてはならない容器。弊社が厳しく、15年に2度の移転をくりかえさないといけない時期も弊社の「赤酢」の品質を守ってくれた宝物です。

昨年、小職が社長になってはじめて2本木桶を藤井製桶所様で製作して頂きました。
木桶の裏面には、小職、食品製造部、桶師の上芝氏そして4歳の娘れいの手形が。次、この木桶の裏面が見られるのは、木桶が解体される100年後、小職はもちろん娘、れいも見ることはないと思います。

和歌山そして日本の食酢文化と共に百有余年。1908年から続く九重雜賀の未来へ、和歌山のそして日本の食酢文化への未来へ、そして社長として父として、娘れいへの未来への贈り物、それが大木桶「軌跡」です。

この気持ちを忘れずに受け継いでいきます。

本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

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