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Channel: お酢とお酒の蔵裏ばなし –九重雑賀 公式サイト
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今夏の初呑切りで、 60年かけ日本酒「雑賀」を築いた岸本杜氏さん引退

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冬に仕込んだ日本酒をすべての品質をチェックする酒蔵恒例の夏の行事が、「初呑切り」。
この日は、ふるさと但馬に帰っておられる岸本義弘杜氏さんも久しぶりに元気なお顔をみせてくれ、酢蔵、酒蔵のメンバーも集まって、家族みんなで食事をするのが慣わしです。

しかし、60年にわたりうちの蔵の歴史をともに歩んでくださった岸本杜氏さんが、高齢のため、とうとう引退することになりました。

日本酒「雑賀」の味を築いてこられた岸本杜氏。ふるさとの但馬から毎年、軽トラックで蔵入りし、毎年10月末から春までの半年間は住み込みで昼夜問わずの酒造り。食事も家族と同じ釜の飯をともにしてきました。

洋子ママが雜賀に嫁ぐより前から蔵におられ、もちろん、主人が生まれた時のこともご存じです。その人生の大半を、雜賀の蔵とともに歩いてくださいました。
 

蔵が移転を余儀なくされた苦しい時期もともに支えてくださり、酒蔵の基礎を築き、かつて以上に活気づけてくださいました。

御年83歳と思えないほどがっちりとした体に大きなふくよかな手、やさしいお顔には、誠実で勉強熱心、己に厳しい人柄があふれていました。たくさんのことをみんなが教えていただいてきたのです。

岸本杜氏さんは、この60年を振り返りながら、「ほんとに長い間お世話になりました」と話してくださり、会長、主人もこみ上げるものを押さえつつ、岸本杜氏さんの労をねぎらい、支えてくださったことに心から感謝を伝えます。

この日は、次期杜氏を勤めてくださる、同じ但馬杜氏の今田義男さんも来てくださいました。
今田さんは御年72歳。杜氏歴も38年と長く、全国新酒鑑評会で4度の金賞、5度の入賞のキャリアをもつベテランです。

「岸本杜氏の名を汚さぬよう、精進してお酒づくりに邁進します」と、力強くあいさつしてくださいました。

雜賀の蔵のことをよくよく考えて引き継ぐことを決めてくださった、その真摯で誠実な人柄にふれ、次期の酒づくりを内心、心配していた蔵人や家族を、どれだけほっとさせたでしょう。

お酒造りにあふれる情熱を注がれている今田杜氏さんの熱意と言葉に、みなの笑顔と拍手がこぼれました。

岸本杜氏さん、これまでほんとにご苦労様でした。そしてありがとうございました。このHPができたら、ふるさと但馬でみてくださいね。
 

雜賀の蔵で醸してくださった最後のお酒。
みな、それぞれの想いを胸に、乾杯しました。


チーム「雜賀」、酒蔵のアニキ分 “根葉ちゃん”が急逝

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根葉ちゃんこと日本酒製造部門の部長、根葉義満さんが、お盆に逝ってしまいました。次の杜氏になるはずでした。まだ51歳の若さでした。

この4月、酒蔵の造りが終わってまもなく体調の異変に気づき、たったの4ヶ月で急逝。亡くなる間際まで、地元和歌山産山田錦を使った「どぶろく」開発のための資料を読み、「必ず治って、どぶろくをつくりますから」と、つらい治療に専念していたのに。

10年前、蔵の大規模な移転があり、ほんとうに大変だったころから、
岸本杜氏さんと二人三脚で雑賀の日本酒の味を育て、守り続けたアニキのような存在でした。

やさしい笑顔、口数少なく寡黙、実直で、労を惜しまずに日本酒の研究に打ち込んでいた根葉ちゃん。愛妻家で愛息家。ご家族とお酒を、こよなく愛していました。
 

その蔵への思い、日本酒造りへの情熱が人一倍熱かったことは、蔵に嫁いで間なしの新米嫁でも知っています。

この雜賀蔵のHPをつくるにあたり、スタッフ紹介に載せるメッセージに、根葉ちゃんは

酒の造りに終り無し、常に一年生。初心忘れることなく日々勉強。酒造技術の向上に邁進し、進化し続けたいと努めています。」

と、意気込みをつづってくれました。まさか、それからこんなことになるなんて。どれほど、悔しかったろう。

今年のお酒は、根葉ちゃんが、次期杜氏として製造のほとんどを責任者として仕切ったものです。大事な一人息子さんの二十歳の誕生日に、手がけた日本酒で乾杯するのを息子さんがまだ幼いころから楽しみにしていたそう。その誕生日の5日前に、ご家族に見守られて逝ってしまいました。

 「ぼくたちは、チーム雜賀。チーム雜賀で乗り切りましょう」と、
辛いとき、いつもみんなを鼓舞してくれた根葉ちゃんの言葉は、
主人や蔵のみんなをどれだけ力づけてくれてきたでしょう。

酒蔵だけでなく、酢蔵のメンバーからも、みなから頼りにされていた兄貴の死。女性の少ない男所帯で、見送りの日、蔵のみんなが男泣きする光景は、なんとも哀しく、切ないものでした。

ありがとう、根葉ちゃん。これからもいつまでも、雜賀の蔵のみんなを見守っていてくださいね。

秋の新生姜を甘酢漬けに。陸平さんの収穫作業

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新生姜の季節といえば、春から初夏にかけてと思いこんでいたら、陸平さんから「秋の生姜を掘るよ」と声をかけてもらいました。
ちょうど、息子さんの直樹さんが、山田錦の稲刈りをするちょうど同じ日に、そばの畑で生姜も収穫をするのだそう。

稲刈りをしているところから少し離れた、3畝ほどのちいさな生姜畑。ぎっしり茎が生えています。陸平さんは、その茎をもって、スッポン、スッポンと抜いていきます。すると、根っこには立派な生姜がぎっしり大きく育っていました。

肥えた土はやわらかくてミミズもいっぱい。ひっぱると、気持ちいいほど簡単に抜けます。

春の生姜はみずみずしくて、甘酢に漬けて「はじかみ生姜」にするのだけれど、秋の生姜は土生姜で、一般に保存用にされるそう。
 

洋子ママは、春の生姜同様、筋っぽいところは除いて、これも丸ごと甘酢につけます。それを大きめにざっくり切って、食卓に出されます。

堅くなく、しゃりしゃりとおいしい食感と味わい、そして寒い冬でも身体を中から温めてくれます。

茎を切り、生姜の部分だけをコンテナにいくつも掘り出したら、これからが大変な作業が待っていました。ぐねぐねと入り組んだ隅っこまで、しっかり泥を落とさねばなりません。
さらに、皮をむいてから漬け込むのですが、1日がかりで母と床にすわりこんでの作業。包丁で皮をこそぎ落としていると、手が熱くポッポッとしてきます。

紀ノ川産山田錦(特別栽培米)、 黄金色の稲穂の収穫

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2年目となる山田錦の収穫、手塩をかけて育ててくれたのは藪下農園の藪下直樹さんです。

実のついた一枝を手に、「ほらね、米のついているほそい枝の色も茶色になったら、十分に実が育った証拠。まさに今が刈り時期」と、教えてくれます。

この田んぼの上には民家もなく、紀ノ川に注ぐ支流からのきれいな水で育てられています。最低限の農薬を使っての特別栽培のお米です。数年前から身体に取り入れても害のない低農薬で玉ねぎを作っていた畑だったところを田んぼにしたそうです。
     

黄金色の稲穂はふくよかに実って重そうです。直樹さんも満足そうに、秋晴れの青空の下、さわやかな笑顔がこぼれます。

さあ、これで雜賀の「どぶろく」が仕込まれます。
どんな味に生まれ変わるのか、とても楽しみです。

 

 

 

杜氏さんと代司さんが、桜咲くころ但馬に帰ります

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ちょうど蔵の桜の木が見頃になるころ、酒蔵の造りが終わり、杜氏さんはふるさとの但馬(兵庫県)におよそ半年ぶりに帰られます。

今年は、杜氏の今田さんと代司(だいし;麹づくりの責任者)の田中さんが、先代杜氏の岸本さんに代わっての、初めての造りとなりました。
勝手の違う初めての蔵での仕込み。大変だったと思いますが、さすが長年杜氏を勤めてこられたプロです。日本酒「雑賀」の蔵らしい味というものを大切に、とても丁寧にきれいなお酒を造ってくださいました。

見送りの朝、酒蔵だけでなく酢蔵のメンバーまで自主的に帰る車の周りに集まってきました。
田中さんの運転する軽トラックに今田杜氏も乗り込みます。

「半年間、ありがとうございました」「また次のシーズンもお願いします」「身体壊さないように。元気なお顔みせてくださいよ」
ムードメーカーだった田中さんも「こりゃ、次も来んわけにはいかんわ」と笑顔。みなそれぞれに言葉を掛け合い、いよいよ出発です。

そうして、桜の花びらもひらひらと舞う中、二人は半年ぶりのふるさと、但馬に帰って行きました。

 

【日本酒蔵】出品酒!しぼりました

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袋つりを行いました。精米歩合40%の山田錦を使用した大吟醸。
僕らの醸す最高級品です。

タンク2本に、酒袋をぶら下げて、醪(もろみ)を入れます。
こぼすと濁ってしまうから慎重に慎重に・・・
すると、自然圧で酒が「ポタポタ」滴り始めます。

 

 

 

 

 

それを、タンクの出口に斗瓶(とびん)を置いて溜めていきます。一本に20リットル弱入ります。
一本目は、1時間もかからずに溜まります。
その後が、なかなか溜まらないんですよね。

 

 

 

 

 

 

 

午前中いっぱいかけて、5本の斗瓶を取れました。
冷蔵庫でこのまま保存しておきます。
すると、上のほうから透明度が増して綺麗になっていきます。

それまでは、動かさずそのままそのまま・・・

 

 

(日本酒担当:児玉)

 

 

【日本酒蔵】出品酒の仕上げ。それは、まあるくて、とってもきれいな・・・

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先に酒蔵の児玉くんがブログ報告してくれたのですが、昨年10月にはじまったお酒の造り、私は今シーズン、まったく写真を撮りにゆくことができなかったことを後ろめたく思っていたのです。

今期最後となる出品酒の仕上げにかかっているとのこと。 袋吊りで手間をかけて造られ、しぼられた山田錦100%、精米40%の大吟醸。 その名も「雑賀孫市」の名前を冠せられる特別酒。搾られたあと、20リットルの斗ビンと呼ばれる、まんまるなビンに入れて熟成させながら、数日かけてきれいに仕上がった部分だけを取り出します。最後にそれは見ておかないと、と、カメラ片手に酒蔵へ。

酒蔵の冷蔵庫の中に、まあるいビンが静かに置かれていました。 その色はなんともきれいな澄んだ翡翠色。 このビンをみるたびに、夜操業するイカ釣り漁船のあの青い、まん丸い大きなガラス玉のようで胸がときめきます。

この出品酒の利き酒をするというので、主人に連れられて酒蔵へ。事務所には今田杜氏さんほか、酒蔵のメンバーが並んで、利き猪口にとくとくと注がれるのを緊張してみていました。

するとふわっと、みずみずしい果物のようないい香りが鼻をくすぐります。順番にお猪口のお酒を口に含んでゆく、その最後に、私も利いてみなさい、と勧められて一口。

利き猪口は大きいのですが、お猪口からはよりしっかりと、ふっくらとしたなんともいえないフルーティーな、美味しそうな香りがあふれています。鼻から胸いっぱいに吸い込みながら、ああこれが吟醸香というものなのかしら。

お嫁にきて3年、毎日の食卓や仕事場やお酒の席で耳にする日本酒を表現するさまざまな言葉があります。でも、それがどのようなものなのかは、なかなか言葉ではわからないものです。「ああこれが!」と腑に落ちる体験の蓄積が、私にはまだまだ必要なのです。

そしてその味わい!わあ・・・・・これが生まれたての、うちの大吟醸「雑賀孫市」。ああ、忘れられないだろうな、この香りと味わい。

みなの「うんうん」と、うなずく真剣な顔を見ながら、これをどう表現したら最善においしさが伝わるのかを考えずにはいられません。

 

 

【梅酒蔵】 陸平さんの梅の花、満開!

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雑賀梅酒の梅を育ててくれている、親戚の藪下陸平さんの梅畑。 もうすぐ散ってしまうよ、と聞き、急ぎお山をのぼります。

途中、満開のヤブツバキが迎えてくれました。 懐かしい!紀南出身の私には慣れ親しんだ、海沿い熊野古道大辺路のシンボルの花。 ツヤツヤに輝く濃厚な緑葉にたくさんのローソクが灯るように咲く、真紅と黄色の花に今春も会えた。紀の川にいても黒潮の風が感じられるようでうれしくなりました。

 

 

するとその奥に、春霞がかかったように、真っ白な梅畑が浮かび上がって見えました。

 うわあ、満開!足を速めるといちめん甘酸っぱい梅の香りが押し寄せ、鼻も喉も、胸いっぱいに。気付けば、花いちめんのトンネルの中です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花霞の合間から、眼下には紀の川が見えました。 ポカポカな陽気、美味しい風、新緑の若草の上に腰をおろして、つかの間、ぼんやりとした春に浸ります。


【梅酒蔵】一足早い梅酒の仕込み!?

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先日 【梅酒用】の日本酒をローリーで自ら運び、

本日 梅酒の仕込みを行いました。

 

 

 

そう!

「梅の産地:和歌山では、

  こんなに早く梅の実が収穫できる!」

  ↑というわけではございません。

 

 

うちの梅酒の仕込みには、一度冷凍した梅の実を使用しているからです。

冷凍しているのは、エキスをより出やすくするための手段の一つであり、

「雑賀梅酒」を造るうえでは欠かせない工程です。

 

 

ということで、本日行ったのは、

梅の実の収穫時期には一足早い 梅酒の仕込みでした。

 

 

 

(梅酒担当:上田)

【日本酒蔵】「来シーズンは、いよいよ新しい蔵で!」今田杜氏、田中代司が但馬に帰ります。

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昨年より1ヶ月も早く、今期のお酒の造りを終え、杜氏の今田さん、代司の田中さんが故郷の但馬へ帰りました。 天気予報で崩れる前に出発することになり、日本酒の蔵だけでなく、お酢、梅酒の蔵人、家族総出で今年もお見送りしました。

 

今年はシーズン最中にインフルエンザと風邪で蔵人が次々と寝込む中、今田杜氏さんも田中さんは自身も体調を崩しながらも、毎日昼夜問わずの麹づくりや仕込みでした。 時に欠員をカバーして仕事量を増やして、がんばって乗り切ってくださいました。

一昨晩には恒例の慰労会。日本酒、食酢、梅酒の蔵人も一緒に乾杯。 主人はアメリカ出張から帰国したまさにその日で、かけつけました。 今シーズンに造ってくれたいろんな日本酒をずらりと並べて、今田杜氏さん、田中さんもほんとにホッとした、やわらかい笑顔がこぼれます。

急に決まった宴会で、この日は洋子お母さんが不在。 私は初めて一人で13人分の席の用意にかかります。残り時間は4時間。買い物からのスタートで、とても写真を撮ってる間はありません。 本日のメニューは、おでん、お刺身、から揚げ、ひとはわかめとキュウリの酢のもの、ポテトサラダ、巻き寿司。 大鍋、大皿にどんと盛って、おしゃれっ気はまるでなしですが、働き盛りの男性たちの食べっぷりはほんとに気持ちがいいものです。 お母さんほど美味しくはできないけれど、笑顔で食べてくれるのを見て心底ホッとしました。

出発の朝、今年はまだ桜は咲いていないけれど、青空の下、二人が帰る軽トラックを囲むみんなの顔は晴れやかです。 「お疲れ様でした!」「ありがとうございました。次は新しい蔵で!」

洋子お母さんも、今田杜氏さん、田中さんそれぞれと両手をパチッとハイタッチして「きっと、また元気な顔を見せてよ!待ってるからね!」と、別れを惜しみます。

軽トラックが見えなくなるまでみんなで手を振ったあと、事務所でお父さんとお母さんが話します。 「今期は若い蔵人が先に倒れて、時に食事ものどを通らないほど身体も辛かっただろうに、最後まできっちり仕事を努めるあの責任感はすごいもんだった」 しみじみ感心して語るのを聞きながら、ああ、今期も終わったなあと、ちょっと寂しい春の朝です。

 

【蔵の移転】桃の町、花盛りの中、工事が本格的になってきました。

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桜の花も満開ですが、新しい蔵ができる移転先の紀ノ川市桃山町は、関西で一番の桃の名産地。周囲は桃畑が広がっています。そして・・・新しい蔵のまわりは今、見渡す限り桃色です。

花、花、花、まさに桃源郷ってこんな風景だったのね。町全体がピンクの春霞がかかったよう。

移転する蔵は、もともとJA桃山町の選果場だったところ。大きな貯蔵庫、選果工場の側はリフォームで再利用し、中身は、食酢、日本酒の製造空間に作り上げるという建設工事になります。

様子を見に行くと、やっていました、日本酒の蔵の内装がどんどん変わっていきます。

ずっと楽しみにしていた、酒蔵の2階から眺める桃の花の景色!窓を開けると、まあ!周囲はピンク色に染まっていました。

背後には百合山。その後ろには“紀州富士”、龍門山。敷地内を歩くと、いたるところ桃色です。さすが桃山町!

 

【日本酒蔵】雑賀孫禄(どぶろく)の仕込み

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酒造部では、昨日からどぶろくを仕込んでます。
米は全量、和歌山県産の山田錦!小分けにした米を丁寧に洗います。

 

 

山田錦の米の旨味を十分引き出すため、製麹も重要な工程です。

 

 

真っ白な醪。仕込温度、品温経過も順調。醪経過を見守ります。

 

 

甘味のある濃醇な旨口。出来上がりが楽しみです♪

 

【日本酒製造部 池田】

 

【東京】服部学園の鈴木先生退職パーティーに感動

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「退職します」と聞くと、やはり寂しい。弊社がお酢とお酒をつくっていることから、ながらく東京の服部学園こと服部栄養専門学校(服部幸應校長)の先生方に多方面からお世話になっているのですが、大好きな鈴木章生(すずきあきら)先生が御歳65で退職されるとのことで、このほど目黒の雅叙園でひらかれた退職記念パーティーに主人と出席させていただきました。テーブルには一人一人に鈴木先生からの熱い、あたたかいメッセージ。じーんと心にしみます。

鈴木先生には、2年前には私のふるさと、熊野の旅をご一緒させていただき、学園祭では若輩な私たちをいつも笑顔で迎えもてなしてくださいました。主人といつも恐縮しながらも、うれしくてつい長居してしまいます。

熊野旅には、このパーティーの日、司会をつとめられた中山先生、砂糖菓子のすてきな花束をいっぱいプレゼントされた熊木先生もご一緒で、そろいのアロハシャツで来てくださいました。(写真は熊野古道の名所&名宿「霧の里たかはら」で)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不慣れなツアーコンダクターの私たちを、どちらがお客さまかわからないほどに、始終笑顔と笑いの珍道中で楽しませてくださり、なんという気遣いとサービス精神、そしてエネルギッシュ!先生方にすっかり魅了された旅でした。

服部学園を卒業し、お勤めとなり以後教務部長などを勤められて45年。「本校で卒業して退職まで勤め上げた先生は過去に例がなく、鈴木先生が初めて」なのだと、服部校長先生が紹介してくださいました。

同校が力をいれている「食育」、健康と食に長年多方面で取り組まれ、学校を盛り上げてこられた。生徒さんにとても愛されてきた先生だったのは間違いないでしょう。

そうして学園を巣立った生徒さんは全国で活躍していらっしゃいます。この日の雅叙園での中華のコースは、どれも絶品。参加者もみな、目を輝かせて食べるのも一生懸命で、丁寧に味わっていました。もちろん私たちも!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中山先生のウイットにとんだ司会は、勝手知ったる間柄からか、いつしか鈴木先生のオンステージに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

200人近い参加者は、先生の教え子をはじめ先生方、私たちのようなよいご縁をいただいて服部学園の先生方にお世話になっている方など。鈴木先生の歌とお話がとてもおもしろいことは、会場の誰もが知っています。

もう一度、先生のあのパフォーマンスを見せてほしい!みなの期待を裏切らない鈴木先生のステージと美味しい食事に、みなが涙の出るほど楽しんでいます。だれの退職パーティーなのかわからない、鈴木先生の全身全霊かけたおもてなしの力に、心から感動しました。

この45年を凛として支え続けてこられた奥様も、最後の花束贈呈での挨拶には涙をこらえて、この日を迎えたことに言葉にならない感無量なご様子で胸が熱くなります。想像を絶するご苦労があったのです。ほんとにすてきなご夫妻です。

鈴木先生、ほんとにお疲れ様でした。主人ともども心よりそうお伝えし、そして、これからのますますの新しい活躍を心底願っております。

一昨年の学園祭でレストランで食事をご一緒したときに、ぽつりと「時代はいつも、クラッシックに戻るものだよ。シンプルがいい」とお話になられた言葉が忘れられません。

まずは45年我慢してこられた奥様との時間を挽回し、息抜きにぜひ聖地と温泉の宝庫、そして鈴木姓発祥の地、和歌山にご夫婦でいらしてくださいね。

これからも先生の笑顔に会いたいですから。

【台所】きゅうりのピクルス漬けました。

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「あ、若採りキュウリ見つけた!」

近所の農産品産直の店「よってって」に買い物にゆくと、たくさんのキュウリが並び始めているのですが、その中に、若採りの小さいものばかりを集めた袋が2袋だけあり、掘り出し物を見つけた気分です。

結婚する前は、田辺の実家の庭に猫の額のような畑をつくり、キュウリやプチトマトを母と一緒に育てては、毎朝くねっと曲がった細いのをせっせともいで、ピクルスづくりをしたものです。思い出しては久しぶりに漬けたくなりました。

新鮮な肌がトゲトゲするキュウリに塩をこすりつけて2日置きました。

実家でもココノヱ酢で漬けていました。お酢の種類はいろいろあるけれど、初心どおりにレギュラーのココノヱ酢に砂糖と塩少々入れたピクルス液を、水気をきったキュウリに注ぎ入れ、赤唐辛子、保存していた山椒の醤油漬けとブラックペパーの粒も適当に入れました。プチタマネギも一緒に入れました。

冷蔵庫にいつも常備しておく、さわやかピクルス。料理の添えやタルタルソースに年中、重宝します。

 

 

【日本酒】COOLな夏酒で、熱いお家ボクシング観戦

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ゴールデンウイーク最終日、東京で行われたボクシングの世界タイトルマッチをテレビで観戦。

主催は、主人がプロボクサーの現役時代(10年以上前の写真)から今なお所属している、東京五反田のワタナベジム(渡辺均会長)です。

ほんとうなら会場へかけつけたかった悔しさを握りしめて・・・移転でそれどころではなく・・・の、お家観戦。

河野公平選手は残念ながら0-2の僅差の判定負け。12ラウンドまで見応え満点の激戦に加え、内山高志選手のKO勝ちというすばらしい世界戦に、主人は、まさしくHEAT UP(ヒートアップ)。

そして今宵は、5月8日から発売する“夏のお酒”で

COOL DOWN(クールダウン)!

 

そんな、日常の中に時折やってくる興奮の食卓シーンから生まれたのが、この2つのお酒・・・だったりして。

ほどよいアルコール度数が、ゆっくりとした食事の時間を最後までお伴します。

〈今宵の献立〉

鶏手羽元の唐揚げ、アイ(磯魚)の煮付け、なすソテーの金山寺味噌ぞえ、ささがきゴボウの「お手間酢」ごま和え、キャベツとキュウリと新タマネギスライスの梅肉和え

 


【蔵の移転】引っ越しが本格化、新蔵へ移動開始!

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ゴールデンウイーク明けてすぐ、心地よい青空の下、いよいよ蔵の移転が本格的に始まりました。

まずは酒蔵から搬出がスタート。旧蔵内から次々とタンクや資材が運び出されています。大きなクレーンが分解した室(むろ)の資材や大きなタンクを次々と大型トラックにつるし上げてゆきます。飛行機雲もさかんにクレーンの向こうに浮かんで、蔵人も運搬の職人たちも活気に満ちています。

トラックが、新しい蔵となる紀ノ川市桃山町へと出発しました!

桃山町の新しい酒蔵には、荷物を積載したトラックが到着。

まずは2階部分への搬入です。大きなステージが組まれて、そこに慎重につるし上げてゆくのですが、大きなタンクに大きなクレーンで迫力満点。危険と隣り合わせの現場では、繊細な作業がひたすら続きます。

ちょっとした角度、安定感を何度も何度も修正しながら、置かれるタンクたち。新しい酒蔵で荷入れを担当する酒造部の池田さんが、運搬の職人さんたちと一緒に、真剣に配置の具合を確かめていました。

とっても明るい蔵内。周囲は桃畑が広がります。タンクが次々と置かれると、まるで前からここにあったように次第に蔵らしい顔になってきました。

【蔵の移転】酢蔵の移転、本格スタート!

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日本酒の蔵の大がかりな引っ越しが終わったところで、今度はいよいよ酢蔵の引っ越しが始まりました。

日本酒のタンクも大きかったのですが、その倍以上はあるタンクばかり。運び出しも慎重に慎重にすすめられています。

大型クレーン車と大型トラックもやってきました。タンクが大きいので大型トラックに一つしかのりません。

さて、これらのタンクが入る新しい酢蔵では、床も磨かれて搬入を待っています。

現場は、タンクだけでなく、大きな機材、配管などの解体もあり、大きな車や蔵人も工事担当スタッフも、さらには日常の商品の出荷作業も重なって、騒然としています。

この引っ越しのために一時、製造を中断しなければならないため、蔵の中では、商品を切らさないための在庫の確保や瓶詰めなどが、移動準備とともに急ピッチで進められてきました。

さあ、これからもう一つ、本格的に始まるのが、わが家に代々受け継がれてきた30石の大木桶の大移動です。

かぶせていた菰がはずされ、新しい蔵へ出発するのを待っています。

【蔵の移転】桃山町へ、酢の大木桶群の大移動!

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今まさに、わが家の木桶を乗せたトラックが、新しい蔵となる紀の川市桃山町の町を走っています。台風の心配もありましたが、それてくれて青空が広がっています。

酢蔵といっても、タンクと木桶の2つの蔵があるのですが、県内最多の大木桶をもつわが家の酢蔵。その移動が急ピッチですすんでいます。その移動を担ってくださっているのが、堺市のウッドワークの上芝雄史さん(右)と、弟さんの藤井泰三さん(左)。

ウッドさんは、九重酢の蔵を長い間、現在まで一手にお世話くださっている、全国的にも知られる数少ない桶屋さんです。全国の酒、酢、醤油、味噌、漬け物にいたる日本の伝統的な醸造に欠かせない大型の木桶。その製造と修繕を担っておられます。

今回の移転・・・といっても、弊社にとっては2度目の大がかりな移転ですが、蔵の移転などめったにないことでしょう。それこそ100年ものの木桶もある弊社の酢蔵の移動は、熟練した職人さんでなければ手に負えない代物なのです。

慎重に慎重に、もろくなった部分もある木桶をもちあげ、トラックに運び上げます。

 

木桶を乗せたウッドさんのトラックが、紀の川市に入りました。これから、私たちは紀の川市の蔵になるのです。

 

 

 

 

 

 

 

【蔵の移転:回想1】「蔵を支えてくれてありがとう」。勤めを終えたものたちに

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解体が進む酢蔵の中で、瓶詰め機械のレールの上に、もられた塩とお酒が置かれているのに気がつきました。それはこの蔵で勤めを終え、新しい蔵にはもって行けないものたちです。

ほかにも、大きな鉄のかたまりのような洗瓶機と、ココノヱ酢のラベルを貼り続けてくれたラベラーが、現役引退の時です。どれも、元々の蔵があった和歌山市の友田町のころから、苦しいときも、移転をしても、働き続けて今まで蔵を支えてくれました。

動いていた時の様子です。このとてつもなく大きな洗瓶機は、専務が入社したころにはすでにあったという、50年ほど前から働き続けてくれたもの。「これだけの大きな洗瓶機は、県内一番。移転の時は、あまりに大きいから近所の人も飛び出してきて『自衛隊か?』と勘違いされたほど」と、嫁いできてから何度も聞かされてきました。それほど酢蔵の風景に欠かせない愛着ある存在でした。

6月アタマ、最後の仕事を終えて機械を止めたあと、営業部長で酢蔵のスタッフでもある“かんちゃん”こと福本完志さんが、そっと塩をもったのです。

かんちゃんも友田町からずっと蔵とともに苦しい時期を乗り越えてきたメンバーです。どんな想いで盛ったのだろう。まだ日の浅い私には計り知れない、いろんな想い、思い出がきっと詰まっているのです。

そっと置かれた塩とお酒、ワンカップの錦郷(きんきょう)。

つい先日まで動いてたとは思えない静けさです。眺めていると胸が熱くなりました。

それからしばらくして、いろんな機材が解体されて運ばれていき、この洗瓶機の解体がはじまりました。

 

この大きな鉄の塊。業者さんが引き取りにきました。梅雨なのに晴れ渡った日々が続いていたのに、この日ばかりは雨模様。

大型トラックにのせられて、そして行ってしまうのを、蔵の家族も、主人も、最後まで見送る姿がありました。

さびしいけれど、「ああ、やっとここを出られる!ようやく手にした新しい私たちの蔵へ行こう」。それが今私たちの一番の心の声です。

勤めを終えた機械たち。連れて行ってあげられなくてごめんなさい。そして、ほんとにいままで、蔵を支えてくれてありがとう。

 

 

 

【蔵の移転:回想2】「立たないものを立てる!」重量級移転のプロ集団 その1

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「すごい作業をしてるぜ。なんせ、立たないものを立ててるんだから!ちゃんと写真に撮っといてよ。ありゃ、すごいわ」と、汗まみれの食酢製造部長の“兄(あに)さん”こと福本貢さんが声をかけてくれました。7月1日の移転目前の10日間は、次第に運び出されるものが大がかりになってゆきました。それは、蔵内で一番大きなタンク群がある酢蔵の移動が本格化したからです。

大きな機械から酒や酢のタンク、事務所のあれこれまで、今回の工場および本社の移転業務を担っていただいたのは大阪、泉南市のARM(エーアールエム)さんです。

 

 

ARM社長の田中信広さん(左)と、主人。

ARMさんとの出会いは8年前。和歌山市友田町から岩出市への大移転の際に、大変お世話になりました。

蔵が引っ越す、それもお酢とお酒のそれぞれの蔵を移転させるという、まれに見る大仕事を引き受けてくれたのです。

 

 

 

「あの時はすごかった・・・」と当時を知る蔵人は口をそろえます。期限が決められた中、短期間で繁華街からあの大きな洗瓶機やら工場や本社の一切合切を運び出した話は、いつ聞いても想像を絶するもので、まるで戦場のよう。みな必死だった、ということに尽きます。

もちろんARMさんにとってもそんな仕事は初めてだったでしょう。やりきってくれたことに、主人はもちろん当時を知る蔵のみんなが信頼をよせてきました。「移転が決まったら、ARMさんにお願いするんだ」と、ずっと主人は話していました。

それから8年。こうして紀の川市桃山町に、念願の移転が決まり、田中社長が最初の打ち合わせで来社された時、主人や前の移転当時を知る蔵のスタッフはみな田中社長と笑顔。挨拶したり握手をしたり、その空気は「懐かしい顔ぶれがそろってきた。さあ!また祭りがはじまるなあ」という、熱い高揚感がはやくも漂っていました。

さて、その移転作業。今回は私も目の当たりにすることになりました。

毎日毎日、現場で活躍してくれたのは、ARMの現場監督、樽谷さん(写真)とARMの仲間会社の宝樹(ホウジュ)さんのスタッフたちです。

大きなクレーン車や大型から中型までのトラック、リフトなどを駆使して、あらゆる大型の機材を搬出し、新しい蔵の設置箇所にぴたりと置いてくれる。ひとつ間違えば大事故、大破損につながるその作業は、繊細で精密、徹底したチームワークによる連携プレー。それはものすごい技術者集団でした。

 

 

 

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